農業生産物という地域資源を生かし、
手と心で「心の糧」を創るのが我が社の仕事です。
「役に立つ喜び」と「未来につながる豊かさ」の実現を目指します。
かつて日本の家では
「ただいま」と家に帰ると台所からは湯気が漂い、
トントン包丁を使う音が聞こえました。
家族は愛情と感謝をもとに歓びを分かち合う存在であり、
家庭は喜びとくつろぎの場でした。
自ら育てた作物を食べたり、
知り合いの農家から譲ってもらった農作物をありがたく食べたり、
旬の食材に四季を感じたりする田園の暮らし。
それが日本の豊かな食文化を育む源になってきました。
食事は、単に飢えを満たすことでも、単なるエネルギー補給でもありません。
食物は、飽食の嗜好品でも、食べられる工業品でもありません。
農から食へ、
食から身体へ、
身体から心へ、
命を支える糧であり、人間らしさを支える「心の糧」であります。
この会社の役割は、皆が一丸となって、この生命のリレーを世代を越えてまもり育むこと。
更にはそのような思いのもと営まれる「丁寧な暮らし」を世代を越えてまもり繋ぐこと。
それを担っているのは、働く皆さん一人一人の「手と心」です。
この会社に関わる全ての人が成長する「はつらつとした職場」をともにつくり、
次代へと引き継いでいきましょう!
経営理念
「役に立つ喜び」と「未来につながる豊かさ」との実現のために
一. 私達は、あそびのあるくらしを守り、未来につながる安心と感動を手渡します。
一. 私達は、人と地域の縁を大切にして、次代のいのちを育む企業です。
一. 私達は、素直な気持ちで出会いに感謝し、よろこびを分かち合う仲間です。
- 有休取得率高
- 平均残業時間20時間以内
業種 | 卸売・小売業 |
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事業内容 | デリカフェ営業、総菜製造・販売、焼菓子製造・販売、弁当・仕出し、通信販売 |
電話番号 | 0182-42-5770 |
FAX番号 | 0182-42-5771 |
創立年月日 | 平成4年8月3日 |
資本金 | 900万円 |
従業員数 | 7 |
売上高 | 8000万円 |
代表者名 | 代表取締役 高橋基 |
事業所本社住所 | 〒019-0525 横手市十文字町字曙町6 |
事業所県内住所 | 〒019-0509 横手市十文字町梨木字沖野66−1 |
沿革 | 弊社は、昭和3年に秋田県平鹿郡増田町(現横手市増田町)にて茶店として創業しました。 太平洋戦争後、呉服など衣類の商いを再創業し、現在の所在地である横手市十文字町へ。 その後80年、地域の女性の暮らしを支えながら、 時代の変化に合わせ、商品・サービス、業種業態を変化させてきました。 平成20年、食事業部を開設し、食の側面から女性を輝かせる事業に進出。 「デリカテッセン&カフェテリア紅玉」という店舗を運営しております。 この店名には3つの願いが込められています。 紅玉というりんごはその花粉で他のリンゴを結実させる役目を持っていることから、 地域の食を健やかで楽しいものに結実させる役割を担うこと。 紅玉というりんごは調理や製菓において潜在的な美味しさが引き出されることから、 ここで働く人々の潜在的な力を引き出す職場になっていくこと。 女性が世代を越えて大切にまもり繋いできた、家族や大切な方々と食卓を囲む暮らしを、 食の本質を守りながらライフスタイルに合わせて変化させていくこと。 そして、令和7年、私たちは広大な田園 大潟村にある加工施設で、 新たに農産品の加工とシフォンケーキ工房の承継に取り組みます。 |
URL | |
平均年齢 | 47.4 |
会社実績
昭和初期
秋田県平鹿郡増田町(現横手市増田町)に茶店として創業
昭和22年
高橋圓之助・タマが古物・反物商として事業再開
昭和34年
十文字町の本社現住所に移転し、「高圓呉服店」として店舗を構える
昭和43年
店名を「たかえん」とし、屋号を○に「た」とする。
平成5年
「有限会社たかえん」として法人成り。高橋斌が代表取締役就任。
平成16年
ラーメン宝介湯沢店の経営を引き継ぐ。
平成20年
「デリカテッセン&カフェテリア紅玉」開店
インターンシップ受入体制
受け入れ区分 | 1日 | 2〜5日 | 6日以上 | 見学のみ |
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大学・大学院 | ◯ | ◯ | ||
高専・短大 | ◯ | ◯ | ||
各種専門学校 | ◯ | ◯ | ||
高等学校 | ◯ | ◯ | ||
既卒求職者 | ◯ | ◯ |
繁忙期を除いて随時受付