楽しさの正体とは?
「山瀬青果の仕事(自体)は楽しいですか?」という質問を就職ガイダンスなどで質問されることがあります。私は「とても楽しいです」と答えます。しかし、その楽しさは私の楽しさであり、その方にとって楽しいかどうかはわかりません。
「楽しさ」とは自分で見つけるものというのは前回ブログでも申し上げた通りです。楽しいと感じるか否かについては人それぞれですが、どうして楽しいと感じるのかにはある共通点があるのではないかと考えます。一つの論点と私が挙げるのが「自由度」です。ある事象、問題に当たったとき、その対処に自らの自由度がどれだけあるか?その時「やる」のか「やらされる」のかに大きく別れます。主体性を与えられ、なおかつそれに十分な対応力を持ち合わせているのであれば自由度はかなり高くなります。「どうやって解決してやろうか」と逆にワクワクする人も出てくるでしょう。一方、そういった力量がない人にとっては、力量をもった人からの逐一の指示やアドバイスが必要となり、半ば操り人形のように動かなくてはならなくなります。時には意に反したやり方をも強制されることもあるでしょう。こういった「やらされ」状態では寸分の自由度もありません。
嫌いな勉強を「せざるを得ない」状態の中、イヤイヤやりながらもその問題の解き方を覚えたことによって「解ける喜び」を知り、一転、大きな充実感に包まれた経験はありませんか?解き方を習得したことにより、今まで解けなかった問題が手に取るように解け、「何でも来い!」という自信。これが「楽しさ」の正体です。その問題については自分でいかようにでも対処できるという「自由度」の体得。全ては「楽しさ」へと繋がっていきます。
「当社の仕事自体が楽しいですか?」というニュアンスの質問には答えようがありません。「どういった力量を身に付ければより楽しくなりますか?」についてはお答えできまよ。じょうむ